娘の友達の善意による物資で我が家も被災地のような状態に!


「隣近所の人の分まで持って行って下さい」と言っても遠慮して
なかなか手を伸ばさない。子供のオムツやミルクが特に不足し
ているようだった。

全部の避難所に届けたかったが、とても足りない。そのため、
避難所のいわき市平体育館1ケ所しか届けられなかった。

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未曾有の大地震、そして原発事故!・・・
がんばれ日本、がんばれ東日本、がんばれ東北


自宅で昼食を済ませ、仕事場に戻って数分後・・・グラグラと揺れ始め、その揺れはだんだん大きくなり、棚から物が落ちる!・・・
FMラジオの「NACK5」から流れる小林克也の「FUNKYFRIDAY」は中断され速報が流れる。そして震源地は宮城県沖と聞き、凍りつく!・・・私のいるところは地盤が硬く、ほとんど揺れないのだが、遠く離れた宮城沖の地震でこれほど揺れるとはただ事ではない!・・・心配なのが津波だ。
東北には数多くの仲間がいるので、釣り場に出ていなければいいが!・・・すぐに宮城や福島の仲間に連絡を入れるが繋がらない。
自宅に戻るといつもは子犬のようにギャーギャーうるさいヤンチャ娘がTVの真正面で青ざめている。そして被害が明らかになリ始めると「支援物資集める!」とクルマで友達のところを回り始め、明け方に帰ってきて、また出かけて行く。
車にオムツや粉ミルクを満載になると帰り、また出かける。これが数日間続き、燃料が無くなり動けなくなると、今度は家まで届けてくれる友達も多くなり、友達から友達へと輪が広がり、約70人以上の友達が協力してくれたようで、1週間もすると我が家の和室やリビングは埋め尽くされてしまった。しかし、この支援物資をどう届けるかが問題で、宅配便は東北6県は受け付けてくれないし、この時点では、まだ市役所でも受け付けていない。県庁まで持って行けば被災地に送ってくれるようだが、荷造りや物資の仕分けなどはかなり面倒のようだ。
この頃になると福島や茨城の仲間には連絡が取れるようになり、知り合いには亡くなった人や行方不明者はいないようだが、食料や生活用品が無く、乳幼児がいる家庭は特に困っているようだが、原発事故による放射能漏れで支援物資を運ぶ車も行きたがらないため深刻だ。
幸いにも13日から伊豆に行く予定でだったので燃料は満タンだ。東北道は通行止めだが、常磐道を使えば福島のいわき市までは行ける。そこで娘に・・・
「この荷物、福島と茨城の仲間に少し分けてもらえないかなー」と言うと
「いいよ、私の友達も福島に送りたいのが多いから、でもどうやって届けるの?」
「すぐにも必要らしいから明日か明後日に持って行こうと思うんだ、オカンも行った方が良いって言ってるから」
「へぇー、オカンも少しは人間の心を取り戻したんだ。じゃー明日(3月23日)は?・・・早い方がいいよ」
と言うことで夕方からダンボールに詰め始めたのが、これが大変!・・・娘の友達も手伝ってくれると言うがすでに荷物で我が家は足の踏み場もないので夜中から家族総出で、(いや、早く行けと言っていた我が家のボスは大きな口を開けて寝ていたが・・・)オムツやミルク、ハブラシなどそれぞれ仕分けして荷造りが終わったのは明け方になってしまった。
酸欠になるほど荷台の隙間という隙間に詰め込むと、久しぶりに我が家の床が見えるようになった。
「じゃー少し寝てから行ってくるから」と言うと・・・
「えっ、うちも行くよ、最初からそのつもりだよ」
「だって原発の近くだぞ」
「知ってるよ、いいよ、大丈夫だよ、一緒に行く。茨城も寄れる?・・・バイトで矢野っちにはお世話になったから少しでも届けたいんだ」
「うん、わかった」・・・被爆の危険があるのに娘を連れて行くとはあきれたオヤジと思うがこれが我が親子・・・しかし、出かける寸前に緊急地震速報が流れ、震度5強の地震!・・・これも数十分の間にダブルで発生、しかも震源地はこれから向かう「いわき市」で、常磐道は通行止めになったがおそらく点検のためだろう。水戸までは行けるので最悪は一般道を走れば行ける。
このニュースを見た我が家のボスはここでようやく目的地が分かったようで・・・・
「いわき市って原発のところだよ、大丈夫かなぁー?・・・マスクは2枚して外で着ていたものはビニール袋に入れてね」とかTVで得た情報を自分の知識のように振りまく。
出発を12時まで延ばし、圏央道、関越、外環三郷から常磐道を走り、燃料補給で友部SAに立ち寄ると2〜3時間待ちの大渋滞・・・通行止めも解除されていたので無給油でそのまま直行するが、SAは閉鎖され、北茨城を過ぎると貸し切り状態だ。
一般車が行けるのはいわき中央ICまでで、ETCの料金所は閉鎖されているため、一般料金所で止まると・・・
「避難ですか」と聞かれ「支援物資です」と答えると「どうぞ」と無料で通してくれた。このときの料金所の方が笑顔で頭を下げてくれたのが印象的でほんとうに困っているのが伺える。
この料金所を出たところで、燃料切れで逃げ遅れたヤンチャ親父の佐藤くんと会津若松に避難している阿部くんの二人と合流して、みんなが待つ公園に到着。ここには郡山からチームウキ工房福島支部長の国井さんも飲み物を大量にかき集め待っていてくれた。
そして逃げ遅れ組の今野君やヤンチャ親父の後輩、ご近所さんなどに必要なものを取ってもらい、それ以外のものは避難所に届け、小名浜港に案内してもらう。コンビニや商店はすべてシャッターが下り、明かりは点いていない。道路も亀裂や盛り上がったところが少しある程度で、木造の古い家もほとんど無傷だ。これを見ただけでは大きな地震があったとは思えない。しかし、港付近に近づくとこの風景は一変する。
家や車は大破し、ガレキの山が一面に広がり、想像はしていたがTVなどの画面とは比べものにならないほどの悲惨な光景が広がり、無言になった娘の目から涙がこぼれる。
まだ、このガレキの下や海底には大勢の人が眠っていると言うが、ほんとうに悲惨な光景で言葉も出ない。しばらく呆然としていたが、午後の6時に仲間と別れ現地を離れた。
「賛否両論あると思うけど、みんな釣りが好きなんだからもう少し経ったら釣りに誘ったほうがいいよ。楽しむぐらいの気持ちで集まれば、きっと気も紛れると思うし」そして
「友達には無理を言ったけど、やってよかった。でも偽善者だって笑う人もいたけどね。あれを見たら分かってもらえると思う。協力してくれたみんなにも見てほしいからウキ工房のHPに載せてほしい」と言うことで今回の報告となった。
帰りには茨城の矢野っちと合流して少ないがカップ麺やミルクなど笠間市議の西山 猛さんに避難所に届けてもらうことをお願いして帰宅した。
しかし、私と娘が現地に行くことで避難して、ギリギリでなんとか生活している阿部くんや国井さんなどは新潟まで行って燃料をかき集め、2〜3時間もかけて駆けつけてくれたため、迷惑をかけてしまったことも事実で反省している。
最後に
協力してくれた、みんな、ありがとう”